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2007年10月 1日 (月)

成海璃子( アイドル愚考録 )

10年にひとりの逸材が毎年現われるように、我々の世界には数多くの女神で埋め尽くされている。「銀盤に舞い降りた女神」「女神のような微笑み」「女神のような美しさ」などとと軽々しく口にするために女神の市場価値は下落する一方で、もはや形容詞としての役割を終えた感すらあるが、それでも敢えて、私は彼女を女神とよびたい。

もちろん、ここで私が語っているのは週刊少年サンデー43号の巻頭グラビアの成海璃子のことである。

抜けるような南国の青空。その青さと競うように澄んだ蒼を梳かした豊穣の海。その空と海を従える女神が成海璃子だ。
今回の彼女のグラビアは大自然と見事に融和し、見る者を豊かなイマジネーションの世界に遊ばせてくれる見事な作品にしあがっていた。

彼女の顔立ちは都会的だが、彼女がもっとも美しいのは自然の中である。今回のグラビアはそのマッチングの良さを改めて認識させてくれた。

しかし、気になったことがないわけではない。それは幾つかのカットでの彼女の笑い方である。

よほど撮影が楽しかったのだろう。彼女が大きく口を開けて笑っているカットがあったが、私はそこに違和感を覚えた。その笑いあまりに感情的、つまり人間的に見えたからである。

魅力の大きな部分を占める、神秘的な雰囲気が薄れていた。ふつうの15歳の少女がそこには写っていた。

そのカットも本来の年齢を感じさせる、微笑ましい佳作ではあるのだが、他のグラビアのような豊穣さはなく、一連のグラビア作品としてはバランスを欠いてしまっている。

むしろあそこで浮かべているべきは東洋的なアルカイックスマイルではなかったか。微笑みの外形を作っているが、それが人の笑いと同じ感情から作られたものなのか分からない、バーミヤンの石仏や、カジュラホの寺院に彫られた女神たちのレリーフのような。

彼女が宿している神性は、西洋の神々のような合理主義で人間的なものではなく、猥雑さと凶暴性を持ち合わせた東洋の神々のそれである。無邪気に、なんの理由も前触れもなく、ただ狂う神。それこそが彼女に相応しい女神の姿なのだ。

だから私は熱望する。カンボジアのアンコールワットでの彼女のグラビアを。大地の力を感じさせる、あの巨大な大伽藍を自らの寝所のように闊歩する彼女の姿を夢想する。

特に第一回廊に彫られた、ヒンドゥー教の天地創造神話「乳海攪拌」を描いた50mほどもある壁画。その壁画を見詰める成海璃子の顔が見たい。

(乳海攪拌とは神々と悪神がヴァースチ(大蛇)で綱引きをして海中をかき回した結果、海は乳海と化し、アプサラやラクシュミー神(ヴィシュヌ神の妻)がそこから産まれた、という壮大な神話である)

そのときの彼女の横顔はラクシュミー神のような神々しさに包まれているに違いない。

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受信: 2007年10月 1日 (月) 13時58分

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