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2008年2月11日 (月)

演出論 ( アイドル愚考録 )

 人の目を惹く為のテクニックとして、派手な飾りつけで半ば強引に注目を集めるというものがある。

 しかし、これは一歩間違えると、ゴテゴテとして悪趣味な印象を与えかねない。にわか成金の、著しく知性を欠いた豪邸や家具などを見た時の感情を考えれば、そのマイナスイメージの大きさを感じ取ることができよう。

 これを仮に『 デコレート型 』と呼ぶ。

 また、一方では逆に人目を遠ざけることで衆目を集める方法も存在する。

 世阿弥の『 風姿花伝 』を紐解くまでもなく、日本人の、否、人間の隠されているモノへの異常な関心の高まりは、誰もが一度は体験したことがある、馴染みぶかい心理だろう。

 敢えて視線を封じることで、内側に隠されたものへの興味を駆り立てる。そういったテクニックのことを、仮に『 カーテン型 』と称する。

 今回は、これらのテクニックを駆使し、見事な成功を収めたふたつのグラビアを紹介したい。

 まず最初はデコレート型を取り上げる。本日発売のヤングマガジンの表紙、時東あみがそれである。

 この表紙を見て、最初に私が驚いたのはその腰の美しさだった。

 これほどの完成度を持った腰は久しぶりだったからだ。

 細すぎず、太過ぎず。まさにジャストサイズの腰だ。筋肉の上にうっすらと適度な脂肪だけを纏ったそのウエストの美しさは、ミロのヴィーナスを彷彿とさせる。

 そして、その美しさを何倍にも引き立てていたのが、そのピンク色の水着であった。

 表紙を目にした瞬間、私にはこのピンク色の上下の水着が、彼女のウエストを強調するための、括弧記号のように感得された。

 腰への視線の集中を妨げぬよう、露出自体は抑えたデザインだが、人目を惹きやすいピンク色の水着で強調したいウエストを挟み込む。実際、私の目は何より先ず腰に行き着き、それから彼女が時東あみであることに気付いたほどだ。このテクニックがいかに効果的であるかを、再認識した瞬間であった。

 まさに細部まで意識の届いた、熟練工の仕事である。

 適宜な飾りつけで中身を引き立てる、このグラビアこそデコレート型の本来の形であり、最高峰である。

 次に、カーテン型のグラビアとして私があげるのは、文藝春秋の店頭ポスターである。

 そこには、芥川賞を受賞して今、文学界で最も旬な女性作家のひとりである川上未映子が写っている。

 弱弱しい光源で照らされた廊下。彼女は壁に背をあずけ、膝を抱えるようにして腰を下ろしている。どこか病的なイメージが漂う、不安を覚える一枚だ。

 ところで、彼女の受賞会見をテレビで見たが、彼女は女性にしてはかなり背が高い。細身であるという視覚的効果も加わってだろうが、そういう印象を強く受けた。

 しかし今回の一枚では、彼女は画面の下半分に隠れるように、窮屈そうに身体を折ってしゃがみ込んでいる。

 彼女自慢の美脚は、無残に折りたたまれ、せっかくの長さをその無理な姿勢によって、強引に断ち切られている。

 だが、この一見するとデメリットしかないような画面構成こそ、今回に関しては、彼女の魅力を最大限に発揮するための適切な処置であったのだ。

 キーワードは『 想像力 』である。

 よく、人間の想像力は、宇宙より広大である、というような趣旨の言葉を耳にするが、私の発言はその手の妄言の類とは違う。猿とまな板を比べるような、無意味で価値のない言葉遊びではなく、もっと単純で普遍的な真理について語っている。

 人が窃視趣味に走るのは、視線を封じられたことへの苛立ちからではなく、そこに隠されているモノへの感情( 喜びや恐怖、そしてエロス )が制限なく無限大に膨らむからである。唯一絶対の回答が与えられていないので、どんな解釈、珍答もここでは許されるというわけだ。

 ( 中二時代の男子生徒が、女性への妄想を逞しくするのも、『 生身の女性 』という回答が与えられていないからである )

 今回の作品ではその人間心理を巧みに使い、さらにそれをアップグレードした手法が使われている。

 つまり、『 見えているのに、見えない 』というものだ。

 彼女の脚は膝を畳むことで、本来の長さを発揮できずにいる。約半分ほどの長さでしかない。

 しかし、そのことが常態( 立ち上がった時の姿 )での長さを想像させる。そして、我々はイメージを膨らませることで、彼女本来の長さよりも長い脚を想起してしまうのである。

 先程の言葉で言えば、彼女の脚は『 見えているのに、見えない 』のである。

 このポスターこそ、カーテン型の最新鋭モデルである。そう結論づけても、誰からも文句の出ない、見事な出来栄えであった。

 さて、以上、ふたつの形式による成功例を述べてきたわけだが、ここで忘れてはいけないことがある。退屈で月並な内容であるし、お説教臭くもあるのだが、大事なことである。省くことはできない。

 それは、演出はあくまで演出でしかない、ということだ。これらは関心を集めるためのスキルでしかなく、最終的に評価の対象となるのは、モデルという中身である。

 単純にして、新鮮味のかけらもない言説ではあるが、それだけに伝統に裏づけされた、普遍性のある大前提である。

 最後の最後でお定まりの内容を書いてしまった自責の念は残るが、この忘れられやすい真理を伝えることで、グラビア界にわずかばかりの恩返しが出来たと考え、自らの労へのねぎらいとしつつ、筆を擱くとする。

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