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2008年2月19日 (火)

マリー・アントワネットの時計  ―または、ある時計蒐集家の手紙

 この手紙は、長い間空き家となっていたとある旧家の、書斎の隠し戸棚に、古い懐中時計とともに納められていたものである。

 以下にその全文を掲載する。


『 私は時計の蒐集を生き甲斐としておりました。

 この時計は、私がこれまで所蔵してきた数多くの時計の中にあって、最も大切に思っているものです。

 これは天才時計師アブラアン・ルイ・ブレゲが、フランス王妃マリー・アントワネットに依頼されて作った「BREGUET(ブレゲ)№179」の完全な複製です。

 時計史において最もその発展に寄与した人物を一人あげろと言われれば、誰もがブレゲの名を口にするでしょう。

 ブレゲは1747年1月10日、スイス・ヌーシャテル地方の生まれです。

 この地方の住民が皆プロテスタントであったことと、ブレゲ家が何世代にも渡って牧師を輩出してきたことから、赤子にはごく自然に、旧約聖書からとった〝アブラアン〟という名前がつけられました。

 ブレゲ家は比較的裕福で、アブラアンは恵まれた環境の下、なに不自由ない少年期を過ごします。

 しかし、彼が11歳のとき、突然の不幸が一家を襲います。

 父親が39歳の若さで急死してしまったのです。

 アブラアンを含め、5人の子供を抱えた母親マリーは、子供たちに新たな家庭が必要だと感じ、夫の従兄弟にあたる29歳のタッテと再婚します。

 この新しい父親の職業が時計師でした。

 1762年に15歳で学校を退学し、時計職人になる修行を始めたブレゲは、まもなく義父の知人で、フランスはヴェルサイユに工房を構える時計師の下に奉公に出ます。

 1775年、ブレゲは独立し、自らの工房を構えます。

 それからの十数年で技術面、美観面の両面において数々の画期的な発明、革新を行った彼は、やがて王室御用達の宮廷時計師となります。

 その顧客リストには国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットのほか、ラ・ロシュフーコー、ノワイユ、モンテスキューといったフランスの名士たちも名を連ねていたといいます。

 その後もブレゲは次々と革新的な仕事をやってのけます。

 が、それとは対照的に、パリの情勢は徐々に抜き差しのならないものへと変わっていきます。

 1789年7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃を契機とするフランス革命です。

 革命の火は、王政や封建制度といった当時の社会体制に不満を持つ人々の手によって各地に飛び火し、その進展とともにブレゲの上顧客であった宮廷の王族たちは、立場的にも金銭的にも追い詰められていきました。

 その影響で時計の代金の回収が困難になったこともあり、ブレゲの会社の財政は逼迫。

 ついに長年の経堂経営者であったジイドと意見が対立してしまいます。

 絶えず新作に力を注ぎ、量産に力を注ぐことを良しとしないブレゲと、会社の財政面での健全化を求めるジイドとの間にできた溝は深く、結果として二人は袂を分かってしまうのです。

 一人になったブレゲは、外国の王室への販売を一層強化するようになります。

 かねてより取引のあったイギリス王室をはじめ、プロイセンの王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世、そしてマドリッドに住んでいた知人の協力によりスペインへ市場をも主要な供給先の一つとすることに成功しました。

 ブレゲが国外の顧客との関係を地道に築きつつあったとき、思いもよらぬ人物から注文が来ます。

 それは1792年8月13日以来、革命軍によってタンプル塔に幽閉されていたマリー・アントワネットでした。

 捕らわれの身である彼女は、王宮略奪の際に失った愛用の高価な時計の代わりに、できるだけ安価な時計を作って欲しいとブレゲに依頼しました。

 ブレゲはその依頼に応え、「№179」を製作します。

 それはいたってシンプルな外観に、暗い塔の中でも時間がわかるよう音で時刻を知らせるリピーター機能を備えた懐中時計でした。

 時計は、彼女が死の直前にこれを、後にシャルル十世となるアルトワ伯爵に譲るまで、その手の中で時を刻んでいたといいます。

 ブレゲの独創性へのあくなき追求を物語るエピソードの一つとして、彼が死ぬまでに一つとして同じ時計を作らなかったことがあげられます。

 しかし、これが真実でないことを私は知っています。

 彼は生涯でたった一度だけ同じ時計を作りました。

 それがこの二つ目の「№179」です。

 二つの時計は、彼女がそれを手放すまで、両者の手の中で同じ時を刻み続けました。

 私は他のどんな時計よりもこの時計を愛します。

 この時計の新たな持ち主が、もしも私と同じ気持ちであってくれたなら、これ以上の幸せはありません。 』

<参考資料> エマニュエル・ブレゲ 著 / 菅原 茂 訳 『 ブレゲ 天才時計師の生涯と遺産 』

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