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2008年3月

2008年3月31日 (月)

リアル ( アイドル愚考録 )

先週、何の雑誌のグラビアだったかは忘れてしまったが、磯山さやかが表紙の雑誌を眺めていて、「すこし現実の肉がついてきたかな」と感じた。

現実の肉とは年齢と共に現れる、『 ふくよか 』という形容詞の範囲では納まりきらない肉のことで、これはグラビアアイドルが宿命的に抱え込む時限爆弾である。

地上における至高の美のひとつである彼女らもやはり人の子、時間という絶対の制約から逃れることはできないのだ。

特に骨美人ならぬ水美人の彼女は、絶頂期での肉感的な魅力と引き換えに、その盛りを過ぎれば坂道を転げ落ちるようにスタイルが激変してしまうという定めを負っている。

そのデッドライン、つまりグラビアアイドルとしての死が、背後に近づきつつあるのではないか。耳をすませばその足音が聞こえるまでに。

しかし、その一方でそれは磯山さやかに新しい魅力を与えてもいた。それを表現するには、色気などという飾られた、血の通わぬ言葉ではなく、『 エロ 』という俗で猥雑な単語こそ相応しい。

ゆるんだ線を描く二の腕。張りなく膨らんだ太腿。

これらはグラビアアイドルとしては明らかにマイナス要因である。しかし、劣った要素であるというそれゆえに、それは我々の欲望を荒々しく掻き立てるのである。

これまで幾度となく書いてきたように、アイドルとは文字通り偶像である。基本的に我々とは位相を異にする、絶対不可侵の存在が彼女らである。

そのため、我々の抱く彼女らへの欲望とは、神に対する祈りのような、決して届くことの叶わぬ、純粋で透明な感情であった。

しかし現実の肉で覆われ、その重みに耐えかねて天上より下ってきた彼女は、触れることのできる女神である。少なくとも同じ地平に立つ存在である。

理想的、夢幻的な肉は確かに美しい。しかし、それは食べることができない。それが我々の飢えを満たしてくれることは一生ないのだ。

現実の肉は美しくないが、食べることができる。血となり、肉となり、私たちの明日をつなげてくれるものである。

磯山さやかは私の期待ほどはブレイクしなかったが、もしかすると今後、その生々しく現実的な肉体で、世の男性たちの欲望の視線を引き受ける、地上のヴィーナスとなるかもしれない。ぜひともそうなってほしいところである。

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2008年3月30日 (日)

NO.18『緑川光・追記と声優セット販売について』

さて、緑川光氏についてだが。この方は「声優になりたくてなった」方である。それも、ガンダムに出たくてエンディングに青二プロダクションの名前があったので青二塾に入ったそうな。そして念願叶ってのガンダムWに出演。まあ、キャラ的人気は2番に持っていかれた訳だが。緑川氏のイメージといえば、王子様系なヒーローといったトコロか。有名なのはときめきメモリアルGSのメインキャラなのだが…私としては『夢いろいろ』というPSゲームを紹介したい。
重ねて言うが、私は別に緑川氏が好きな訳ではない。私はあくまで置鮎氏の大ファンである。ちなみに上記の乙女ゲーム2作品共に、緑川=メインヒーロー(ときメモでいうトコロの藤崎詩織)・置鮎=お坊っちゃん系(ときメモでの伊集院みたいな感じか?別に性別は偽っていないが…)だったり。
この二人の数多くの問題発言は置鮎さんのコラムを見ていただければ分かるのだが。一時期やたらと共演が多かったのだ。それこそ観るモノ聴くモノやるモノ全てに共演しているのでは?!と錯覚をおこす程に。
こんな風に共演が多くある声優を、言葉は悪いが「セット販売」と呼んでいる。

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2008年3月25日 (火)

マリー・アントワネットの時計 ――または、ある時計蒐集家の手紙(第二稿)

 この手紙は、長い間空き家となっていたとある旧家の、書斎の隠し戸棚に古い懐中時計とともに納められていたものである。
 以下にその全文を掲載する。

『 私は時計の蒐集を生き甲斐としておりました。このたび、長年かかって集めたコレクションを、自らの不徳のいたすところによって手放さねばならなくなったのですが、その中にあって、どうしてもこれだけは人の心のわかる方の手に渡って欲しいと、願ってやまない品があり、それをこの隠し戸棚に手紙を添えて納めた次第です。

 私が何故この時計に特別な思いを抱くようになったのか、それをおわかりいただくことは非常に困難であると思われますが、何かしら通ずるものがあることを願いつつ、この時計の製作者と依頼者について、私の知っていることを書き記そうと思います。

 この時計は不世出の天才時計師アブラアン・ルイ・ブレゲが、フランス王妃マリー・アントワネットの依頼を受け、製作した「BREGUET(ブレゲ)№179」です。

 ブレゲは1747年1月10日にスイスのヌーシャテル地方で生を受けました。
 この地方の住民が皆プロテスタントであったことと、ブレゲ家が何世代にもわたって牧師を輩出してきたことから、赤子にはごく自然に、旧約聖書からとった〝アブラアン〟という名がつけられました。

 ブレゲが時計制作の道を志すようになったのは、彼が11歳のときに父が急死し、しばらくして母が再婚した相手が時計師だったからです。

 15歳で学校を退学し、時計職人になる修行を始めたブレゲは、まもなく義父の知人で、フランスはヴェルサイユに工房を構える、とある時計師の下に奉公に出ます。ブレゲはそのときのことを後に手紙でこう綴っています。
「自分を鍛え上げたいという止みがたい欲求のために、私は故郷のスイスを去ってフランスに移り、ここに腰を落ちつけたのです。この国が職人の才能を開花させることのできる唯一の国と信じて疑わないからです。」

 スイスの片田舎からやってきた15歳の少年にとって大都会パリの壮大な姿はさぞ魅惑に満ちたものに映ったでしょう。

 当時のヴェルサイユは、「最愛王」と呼ばれたルイ15世が宮殿に君臨し、ヨーロッパ全土からやって来た多くの芸術家や職人たちが、その技術や華やかさを競い合う場でもありました。
 宮廷の王族・貴族たちの間では、結婚式など大きな式典の際に来賓に贈り物を振舞うのを慣わしとしていました。そこで時計は嗅ぎ煙草入れと並ぶ、「ロイヤル・ギフト」としての地位を確立しており、彼らにとって富や権力を象徴するものとしてなくてはならぬものでした。

 13年に及ぶ修行を終えたブレゲは、1775年、独立し、自らの工房を構えます。

 一方、マリー・アントワネットは、1755年11月2日、オーストリア・ハプスブルグ家の十一女としてウィーンで生を受けました。

 15歳でフランス王太子と結婚したアントワネットは、王太子から御礼の祝い品として52個の鍵煙草入れと51個の時計を贈られ、これらの品、全てを式の来賓者たちに配ったといいます。

 アントワネットとブレゲがすぐに出会ったかというとそうではありません。ブレゲの名声は既に高まっていましたが、当時のパリの空気は、ヴェルサイユの宮廷、なかんずくマリー・アントワネットを激しく嫌悪するもので、ブレゲとてなかなか国王や王妃に謁見する機会を得ることはできずにいました。

 アントワネットとブレゲがどのようにして出会ったのかについては、詳しい資料が存在しないため定かではありませんが、おそらく二人を引き合わせたのは、パリに来てからのブレゲの庇護者であったマリー神父ではないかと考えられています。

 1782年にブレゲはマリー・アントワネットのために懐中時計を製作したのですが、これには「10/82」という刻印が記されています。この数字は1782年の10月に仕上げられたことを示しています。この年はマリー神父が、王弟であるアルトワ伯爵の助任家庭教師に任命された年でもあるため、おそらくこれをきっかけとして初めてブレゲは国王と王妃に謁見することができたのだろうと思われます。

 王室御用達の宮廷時計師となったことでブレゲの名声はさらに高まり、その顧客リストには国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットの他、ラ・ロシュフコー、ノワイユ、モンテスキューといったフランスの名士たちも名を連ねていたといいます。

 翌年、ブレゲは王妃の警護官という匿名の使者から驚くべき注文を受けます。それはあらゆる複雑機構と最新のデザインの粋を集めた最高の時計を作って欲しいという申し出でした。納期も価格の制限も全くなしという規格外の注文に、ブレゲは大喜びして製作に着手します。こうして作られたのが「マリー・アントワネット」と称される伝説の時計「№160」です。結局、この時計は長い中断をへてブレゲの息子の指揮のもとでようやく完成したため王妃の手に渡ることはありませんでした。時にブレゲ36歳、アントワネット28歳。片や時計師として、片や王妃として、彼らはきっとこの伝説の時計に象徴されるように、その人生のうちで最も輝きに満ちた時を過ごしていたのではないでしょうか。

 それからまもなくして、パリの情勢は次第に抜き差しのならないものへと変化していきます。1789年7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃を契機とするフランス革命です。革命の火は、王政や封建制度といった当時の社会体制に不満を持つ人々の手によって各地に飛び火し、その進展とともにブレゲの上顧客であった宮廷の王族たちは、立場的にも金銭的にも追い詰められていきました。

 その影響でブレゲは時計の代金の回収が困難になり、ついに会社の財政は逼迫します。時計師としてこれまでどおり新作に力を注ぐか、財政の健全化のため量産にいそしむか。絶えず革新的な時計製作に力を注ぎたいブレゲは、彼が時計製作に力を集中できるよう主に会社経営を担ってくれていた共同経営者のジイドと対立、ほどなくして二人は袂を分かちます。

 こうしてブレゲは自由を手に入れました。が、会社の財政は依然として火の車であり、自由を手に入れた直後から、ブレゲは皮肉にも本来新作に注ぐべき情熱の全てを経営に傾けることになります。

 まずやるべきことは、もはや誰も敬意を示すことのなくなったフランス王室に代わる、新たな顧客の開拓でした。ブレゲはそれを外国の王室に求めました。かねてより取引のあったイギリス王室をはじめ、プロイセンの王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世(彼はブレゲの故郷であるヌーシャテル公国の統治者でもありました)、そしてマドリッドに住んでいた知人の協力によりスペイン市場をも主要な供給先の一つとすることに成功しました。余談ですが、ブレゲは幾度となくブリテン島に時計代金の回収のために渡っており、そのたびにイギリス王室の金払いの悪さを嘆いています。

 ブレゲが新たな顧客との関係を地道に築きつつあったとき、思いもよらぬ人物が注文をよこします。それは1792年8月13日以来、革命軍によってタンプル塔に幽閉されていたマリー・アントワネットでした。捕らわれの身である彼女は、王宮略奪の際に失った愛用の高価な時計の代わりに、できるだけ安価な時計を作って欲しいとブレゲに依頼しました。ブレゲはその依頼に応え、「№179」を製作します。それはいたってシンプルな外観に、暗い塔の中でも時間がわかるよう音で時刻を知らせるリピーター機能を備えた懐中時計でした。時計は、彼女が死の直前にこれを、後にシャルル十世となるアルトワ伯爵に譲るまで、その手の中で時を刻んでいたといいます。

 ブレゲは何故アントワネットの依頼に応えたのでしょうか。いまさらフランス王室に貸しを作ったところで何の得にもなりません。加えてブレゲはある時期、国民衛兵・第一部隊の隊員としてタンプル塔を警備する任務に就いており、もし王妃のために時計を作ったことが悪意をもって吹聴されでもしたら、自らの立場に悪影響を及ぼす可能性すらあったかもしれません。にもかかわらず彼は時計を作りました。残念ながらその真意を知る術はありません。

 ブレゲの独創性への飽くなき追求を物語るエピソードの一つとして、彼が死ぬまでに一つとして同じ時計を作らなかったことがあげられます。しかし、これが真実でないことを私は知っています。彼は生涯でたった一度だけ、同じ時計を作りました。売るためにではなく、自らが所有するために。それがこの時計――二つ目の「№179」です。

 同じナンバーをつけられた二つの時計は、彼女がそれを手放すまで、両者の手の中で同じ時を刻み続けました。

 私は他のどんな時計よりもこの時計を愛します。

 この時計の新たな持ち主が、もしも私と同じ気持ちであってくれたなら、これ以上の幸せはありません。』

―― fin.

<参考資料> エマニュエル・ブレゲ 著 / 菅原 茂 訳 『 ブレゲ 天才時計師の生涯と遺産 』

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2008年3月24日 (月)

星に願いを ( アイドル愚考録 )

かつて山本梓は宇宙人であった。

それは小倉優子のように世に出る戦略としてではなく、本物の宇宙人が何かの企みのため、地球人に偽装しているのではないか、という疑いすら持たせるほどであった。

( そういう意味では、忍風戦隊ハリケンジャーでの宇宙忍者役は実に適役だったと言える )

というのも、その振る舞いが世間のそれと大きくずれているように思えたからである。

言動、所作、そして完璧に近いルックス、とにかく彼女には現実感が希薄だった。我々と同じ日常に存在することに信憑性が置けなかった。

その疑念のもっとも大きな要因が、彼女に特有の笑顔であった。

人間は心から笑うとき、目元の筋肉が収縮するため、やや瞳が小さくなるものだが、彼女の場合は目は大きく開いたまま、口元だけが大きな笑いの形を作っていたのである。

口を大きく開けるのではなく、口は上前歯が見える程度に開き、口の端だけをニッと上に持ち上げる。三日月のようでもあり、アリスに登場する、チェシャ猫のようでもある。

この笑顔であって笑顔でない彼女の笑みが、彼女が実は宇宙人で、実感を伴わないまま人間の感情の形をトレースしているだけなのではないか、との疑惑を私に抱かせた。

そんな私の戸惑いをよそに、山本梓の姿はあちらこちらで見られるようになり、写真集も飛ぶように売れ、あっという間にグラビア界の、否、テレビの世界でもひっぱりだこの人気者へと変化した。

そんな彼女の強みとなっていたのが、もはや時代の要請と言ってもよい、コスプレへの抵抗のなさであった。ここで私が言っているのは彼女がコスプレを嫌がらない、という心因的な要素ではなく、コスプレとの親和性の良さを問題にしているのである。

しかし、これは当然の帰結とも言える。コスプレとは、専門職が必要性から纏うような衣服を、それとは無関係な人間が着ることで、その雰囲気、または社会に相対的な感情を抽出する見立て遊びであるからだ。

見立て、つまり形( フォルム )を模倣するのである。そして模倣であるためには、前提条件として模倣する対象と距離を隔てていることが必要となる。これは看護婦が看護婦の制服を着るのが当然であることを考えればすぐに理解されるだろう。

ここまで書けば誰でも理解できていると思うが、念のために書いておけば、山本梓がコスプレとの相性が良いのは、それしか彼女には有り得ないからということになる。

つまり、宇宙人である彼女にとって、地球上のあらゆる衣服は、その全てが人類のために縫製されているという時点で、コスプレの対象にしかならないのである。

彼女のコスプレに向く性向とは、通常の衣服との致命的なマッチングの悪さが育んだ、奇妙な果実に過ぎないのである。

( このコスプレという概念を突き詰めていけば、もっと深い考察が生まれそうな気もするのだが、ここではこれ以上、進めることを自重しておこう。ヤマトタケルの女装など、神話との関係性を論じていくだけでも面白そうな論題ではあるが )

ところで、今回の文章がほぼ過去に向けられていることに既にお気づきのことと思うが、お察しのとおり、上述の文章は現在の山本梓をその射程に収めてはいない。

現在の山本梓は宇宙人ではないからだ。

『 あまりにも地球的である 』と言ってもよいかもしれない。

かつてはその背後に輝いていた、大銀河の煌きが薄れてしまっている。

最近の山本梓のグラビアには、あまり関心を惹くものがない。

現実的な話をすると、私生活で何か問題があったのか、近頃見たグラビアからは総じて元気が感じられない。熱意が感じられない。そして何より、我々に仰ぎ見ることしか許さないような、アイドル全てがもつオーラが感じられない。

アイドルとは偶像であり、我々とは遠く隔てられた存在である。これが私のアイドルの定義だ。

かつての山本梓はこの距離が銀河級だった。

しかし今、この二点間の距離が急速に縮みつつある。

もはや電車内でつり革を握る彼女を見かけても、地元の小さなスーパーで特売品を選んでいる彼女を見つけても、それが無理なく自然に思えるような存在になりつつある。

これはアイドルにとって死を意味することだ。

変化は避けられない。死は退けることの出来ない現象である。

しかし、彼女の現段階での死はナチュラルではない。死亡フラグは立っていない。

我々は、実を結ばぬうちに刈り取られる麦穂を見たくはないのだ。

今後、彼女から宇宙の広大さを感じ取ることは出来ないかもしれない。しかし、それでも、例え地球に降り立ったとしても、一人の人間として何かが出来るはずである。

地球に残ることを選ぶ。そんなかぐや姫がいてもいいではないか。

私は熱望する。彼女があの頃とは違う、新たな輝きで私の前に現れることを。

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2008年3月23日 (日)

NO.17『緑川光』

私は声フェチである。

そして今回は、ある意味で私の原点ともいえる緑川光氏についてだ。

語った気になっていたが、あれはあくまで「置鮎龍太郎」についてであって「緑川光」についてでは無いのだ。

私がこの方の声を1番最初に聞いたのは置鮎さん同様、サイバーフォーミュラの新条直輝だ。

そして、私の困った事は。友人には申し訳ないのだが、私は彼が演じる役は好きでないのが多いいのだ。

新条直輝を筆頭に、スラムダンクの流川楓、蒼き伝説シュート!の田中俊彦等等。

が、困ったことに意識しすぎるせいでほんの一瞬でも気づける事だ。

その筆頭がガンダムWのヒイロ・ユイだ。

当時の私はアニメ誌などはみておらず。新作アニメのキャストチェックなどはしていない中、アニメの予告を見た。

「あ、これ緑川さんじゃね?」

そう思い。次に思ったのは、

「緑川さんが出るって事は、おっきーも出るんじゃね?!」

結果は皆様ご覧の通りだろう。

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2008年3月18日 (火)

正直

○ 自宅・リビング

母親「お醤油買ってきて」

   母親が息子(10)に千円札を渡した。

母親「お菓子、一つだけなら買ってもいいよ」

息子「ホント!?」

母親「おつりはちゃんと持ってきなさいね」

息子「うん!」


○ 道

   息子、袋を提げてスーパーから出てくる。

   袋からチョコバーを取り出し、食べよう

   とする。

   突然、背後で犬が吠える。

息子「!」

   犬は飼い主と共に行ってしまう。

少年「(ホッとするも)あ」

   驚いた拍子に落としてしまったチョコバ

   ーは側溝の汚水の中にあった。


○ 自宅・リビング

息子「ただいま」

   息子、元気なく入ってきて母親に醤油ボ

   トルの入った袋とおつりを渡す。

   退出しようとする息子に母親が、

母親「お菓子、買った?」

息子「うん」

   息子、そのまま退出しかけるが行きしな

   に振り返り笑顔で、

息子「おいしかったよ」

母親「そう」

   息子、退出。

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2008年3月17日 (月)

ふたりの客人 ( アイドル愚考録 )

先週号のヤングサンデーの表紙を飾ったのは、中国出身のグラビアアイドル、ローラ・チャンであった。

北京五輪を反映してか、さまざまなスポーツのコスチュームに身を包んだ、所謂コスプレ写真がメインだったが、それらよりも表紙の青いチャイナドレス姿がいちばん愛らしく、彼女に似合っていた。

ただ、通常のワンピース型ではなく、上下別の、腹部が大きく露出した改造チャイナドレスだったのが、私個人としては大きな減点だ。

チャイナドレスは女性の柔らかなラインを愛でるべきもの、というのが私の持論だからだ。今回のように、そのライン上に目を惹く部分( 腹部の露出 )があると、そこで視線が停滞してしまい、視線のスムーズな上下運動を阻害してしまう。個を主張することで、全体としての統一を欠いてしまっているのだ。

それでも、先週に私が見たグラビアの中では、彼女が最も目を惹いたことは間違いない。

彼女の魅力は小動物、愛玩動物のような可愛らしさである。大きな目はアイアイやヤマネのようだし、少し前に飛び出し気味の上前歯も、ビーバーのようなげっ歯類を思わせて愛らしい。

こちらを脅かす危険性はまるでなく、保護欲だけを大いに駆り立てる。

これはアイドルに必要な特性である。

ローラ・チャンは、日本のオールドタイプなアイドルの才能を持っていると言ってよいだろう。

では、リア・ディゾンの場合はどうだろう。

彼女もまた、ローラと同じく外国からの客人であるが、その扱いはまるで違っている。

デビュー当時、彼女は『 黒船 』と銘打たれ、日本のグラビアにセンセーションを巻き起こした。

やや求心力を失いつつあった日本グラビア界は、その日本的でない大陸的な美の顕現に目を瞠った。

最初からマスコミの扱いも大きく、世間もそれに同調するかのように彼女を祭り上げ、あっと言う間に彼女はグラビア界のトップスターに登りつめた。

しかし私には、彼女が実力で昇ったのではなく、周囲の人間がその背中を押して、無理やりに頂上へ上らせているようにしか映らなかった。

トップへと休みなく走らされる彼女の姿は、どこか追放される罪人のようでもあった。

ところで、東南アジアを中心として、広くアジア地域一帯に根づいている民間信仰のひとつに「客人(まれびと)信仰というのがある。

すなわち遠くから訪れる旅人を神の使者もしくは神そのものと崇める考え方である。神の使者または神そのものとしてみなされた旅人は、手厚いもてなしを受ける。

( そのポスターが卑猥とされて撤去されたことで一躍有名となった蘇民祭。そこで祭られている蘇民将来のエピソードも、客人信仰の現れである )

つまり、日本は古来より遠方からの客人を厚く持て成す習慣があったわけだが、ここで忘れられやすいのが、それがあくまで客人であるという事実だ。その後、村に入り、一生を終えたというエピソードはあまり聞いたことがない。

村や地域に新しい風を吹き込んだ旅人は、恩人として歓待されるが、結局はその優れた力ゆえに恐れられて遠ざけられる運命なのである。

ある者を鬼と呼んで恐れるのも、神と呼んで畏れるのも、実は同じ行為でしかない。根底にあるのは、畏怖すべき存在を自分から遠ざけようとする恐怖だ。

リア・ディゾンは確かに停滞気味だった日本グラビア界に新鮮な空気を送り込んだが、おそらく今後、日本に根付くことはないだろう。他を圧倒する、その優れたルックスゆえに彼女は恐れられ、そして滅びるのである。

その点、ローラ・チャンには愛嬌がある。上述のようにわれわれは彼女にプレッシャーを感じることはないのである。

同じ神、もしくは神の使いであっても、リア・ディゾンがキリスト教的な神とするならば、ローラ・チャンはどこか人間くささのあるギリシャの神々( 好色なゼウスや呑んだくれのバッカス )に近いと言える。

スーパーマンが大衆的人気を勝ち得たのも、ヒーローとしての力ゆえではなく、冴えない新聞記者としてのもうひとりの彼がいたからである。人は、完璧なヒーローを隣人として持ちたいとは決して思わないのである。

瞬間の最大風速においては、ローラ・チャンはリア・ディゾンには敵うまい。しかし、日本の芸能界で根付く可能性は、彼女のほうが勝っていると言える。

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2008年3月16日 (日)

声優語り番外『ONE PIECE映画を公開初日に行ってきました』

3月1日。

映画を公開初日に観てきまた。

決して「ライラの冒険」などではなく。

ヲタクらしくONE PIECE劇場版第9作「ONE PIECETHEMOVIEエピソードオブチョッパー+冬に咲く、奇跡の桜」をだ。

メンバーはヒロリーナ・秘書・山本・ボスに私の五人だ。

ちなみに、母に「映画観て来るから」といったトコロ「かぁべぇ?」と言われた。

母上ぇΣ( ̄□ ̄)

だが、ヲタク達の戦いは初日前から始まっていたのだ。

公開初日のお約束ともいえる出演者の舞台挨拶。

が、今回の舞台挨拶の劇場チケットは、チケットぴあでの購入に限られていたのだ。

違う売り場で購入したチケットとの交換はいっさい無し。

来年、ONE PIECEの劇場舞台挨拶を見てみたいと思っている方は

チケット購入はギリギリまで待つ事をお勧めしておく。

年々条件が厳しくなってきているのだ。

ジャンフェスで売っていても、舞台挨拶が見たいならひたすら我慢だ。

2回以上観るのなら問題はないのだが…。

まあ、そんなこんなで。

早朝から四人体制でチケ取りしたかいもあり、無事人数分購入出来たのだった。

さて、映画本編の話しだが。

内容の批評をする気はない。そういう事は専門家に任せておいて。

本編について私がここで言いたいのは、

「みのもんたうめえぇ!!」

という事だ。

流石だ。正直言わせてもらえば、今までのゲスト芸能人のなかではダントツだったのではないだろうか?

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2008年3月11日 (火)

男やもめ

○ 実家・玄関(夜)

男「ただいま」

   男(29)が玄関たたきから言った。

   父親、奥に立っている。

父親「うん」

   堅物といった印象の父親。


○ 同・居間

父親「お茶飲むだろ」

   父親、立って出て行こうとする。

   座っていた男、立とうとしながら、

男「あっ、俺やるよ」

父親「あー、いーいー(いいからいいから)」

   父親、退出。

   男、また座る。

   見ると部屋の隅に取り込んだ洗濯物が積

   まれている。

   仏壇には母親の遺影。

   父親が湯飲みや急須を載せた盆を持って

   やってくる。

   父親、男が洗濯物を見ているのに気づき、

父親「洗うのはいいけど畳むのがなぁ。ハ

 ハッ。(お茶を淹れ始める)お前、洗剤な

 に使ってる?」

男「ん? 液体のやつ」

父親「液体か。やっぱり寒くなると粉より液

 体の方がいいのかな」

男「親父」

父親「ん?」

男「親父と話するの、なんか久しぶりだよね」

父親「そうか。(といって照れ笑い)」

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2008年3月10日 (月)

既知との遭遇 ( アイドル愚考録 )

人は未知なるものを恐れる。

それは本能的な恐れであり、人類ははるか昔より正体の知れないモノに恐怖し続けてきた。人類の歴史とは、未知なるものを駆逐しようとする行為の堆積であると言えなくもない。

あらゆるものを分析し、測定し、名前を与え、既知のものと変える。人が蛮勇とも思える大冒険、大航海に挑むのも、実は勇気だけではなく、『 訳のわからないもの 』に囲まれているという事実に耐えられないからではないか。根底には恐怖が隠れているのではないか。

ことほどさように人は未知を恐れる。しかし、では既知なるものが、怖ろしくないかと言えばそうではない。時として既知なるものは、未知なるものよりも恐怖を与えること大である。

既知とは既に自分が見知ったものである。

つまり人生における二度以上の出会いであり、それは以前に出会ったときの体験、突き詰めれば過去の自分の再発見でもある。

思わぬ場所、思わぬ時間に過去の自分と遭遇することは、存外、怖ろしいものである。

ところで、『 月刊ダイバー 』なる雑誌があることをご存知だろうか。大半の読者は知らないであろう。斯く言う私も、本日、その存在を知ったばかりである。

文字通り、それはダイバーのための情報誌であり、ダイビング教室の生徒募集から、初心者用の簡単なスポットや熟練者のための穴場だが難しい海域、潜水用機材の詳細な紹介まで、あらゆるニーズに応えられる作りとなっている。

が、私はまるで海とは無関係に暮らしてきた陸の男である。

そんな私が、この雑誌に目を惹かれたのは、むろんその表紙モデルが原因である。

が、それを目にした瞬間、血液は沸騰し、体中が熱く燃え上がった。

その表紙モデルが、持田真樹だったからである。

私が持田真樹を知ったのは、おそらくTBSドラマ『 高校教師 』であった。

彼女はヒロインである桜井幸子の親友役だった。そのドラマで、彼女は桜井幸子の引き立てであり、また桜井幸子の純愛に対する引き立てでもあった。

( 持田真樹は好意を抱いていた教師に想いを打ち明けるが、彼女はそこで彼に強姦されてしまう。桜井幸子の場合、彼女が肉体関係に至るのは最後になっている )

ショッキングな内容と、桜井幸子の清純さと艶かしさの混在した演技が話題を呼んだドラマだったが、私は殆んど持田真樹を見るためだけにドラマを見ていた。

彼女は決して演技は上手くなかったが、とにかく可愛らしく、純朴で、そんな彼女がどうなるのか、毎回、はらはらしながらテレビを見ていた。

本気で彼女の相手役だった京本正樹が大嫌いになった。

( 後年、彼の特撮モノへの深い理解と偏った愛情を知り、逆に好きになった )

恥ずかしながら初めて購入した写真集が彼女のものであった。

以前、宇宙人に漫画とは何だ、と尋ねられた場合、手塚治虫を出せばすべて解決する、と言っていた漫画家がいた。手塚治虫はすべてのジャンルの漫画を描き、彼こそが漫画と言えるからである。

同じように、当時の私にとって、「 女性とは何だ 」という問いを投げかけられれば、私はすぐに「 持田真樹である 」と答えたであろう。その頃の私にとって、彼女は全てであり、唯一無二のまさに偶像( アイドル )であった。

その後、長い時間が経ち、やがてはその熱も冷め、いつしか彼女の名前は記憶から零れ落ちていたのだが、今日、彼女との思わぬ再会を果たした。

それは過去の自分、等身大の青春時代との再会でもある。

大体において、人間は過ぎた日々を美化する生き物である。幸にしろ不幸にしろ、瑣末な体験を大仰に膨らまし、劇的にすることで、自分の過去がさも起伏に富んだストーリーであったように、無意識に( 半ば意識的に )ミスリードしているのである。

そんな捏造だらけの過去の記憶のなかで、もっとも粉飾される可能性が高いのが、思春期、青春時代であると思われる。

一体、世間に流布する、『 青春は人生における、最も輝かしい時期である 』という言葉に躍らされ、自らの10代後半の記憶を粉飾しない人間が存在するだろうか。皆、数少ない材料( 体験 )でゴテゴテと飾り立て、金メッキで外側だけを立派にしているのだ。

そして、その偽造が露見する火種になりかねないのが、当時、熱狂したアイドルの存在である。

ある時期、彼らは神であり、女神である。が、当然、彼らも人の子であり、時間という制約から逃れることは出来ない。やがてピークを過ぎ、容色は刻一刻と衰えていく。

そこには色あせた過去の生の顔がある。現実の残酷な姿がある。

アイドルとはその時代の輝きを映す鏡でもある。同時代を生きる人間の、生の充実の絶頂が彼らである。

それが無残にも横たわり、老いさらばえた姿を晒しているのだ。

丁寧に葬った自分の輝かしい黄金時代が、腐った死体のままで甦るのである。何と言う冒涜であろう。

しかし、本当に耐え難い屈辱は、その青春の死体がほぼ生前の形を留めていることだ。

飾っていた偽りの記憶が腐り落ち、幾重にも塗り篭められていた真実が顔を覗かせていることだ。

エドガー・アラン・ポーの名作『 黒猫 』は、過去の記憶と対面することの恐怖を描いたものだ、とする心理学者もいる。壁の中から現れるのは死体ではなく、過去の記憶であるというのだ。

また、自らの出生の秘密( 過去 )を知ったオイディプス王は、その恐怖から逃れようと自らの目を潰した。

彼のように悲劇の英雄ではない我々は、さすがにそこまでの自虐行為には至らないが、それでも自らの欺瞞の証拠を見せられ、心穏やかでいられる者はいまい。

既知との遭遇はこれほどまでに破滅の危険性を帯びているのである。

今回、私は幸いにも身を滅ぼすほどの衝撃を受けることはなかった。

月刊ダイバーの表紙で微笑む彼女は、あの頃の記憶と断絶することなく、未だ容色を保ったままでいたからである。

が、彼女のように童顔の女性がうまく年齢を重ねていくのは難しいものである。これからも何とか時間と折り合いをつけ、『 可愛らしい 』から『 美しい 』女性になっていくことを願うしかない。

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2008年3月 9日 (日)

月刊I-GIRL『3月号』

『萌分類学』

【人物萌】

「キャラ」そのキャラなら何でも良し、な分類。ネコミミが生えようが女体化しようが関係なく萌る。

「声優」声優個人に対して。どのキャラを演じていようと関係無し。

【職業萌】

大古からは「医者」「先生」などがあったが、近年では「執事」が台頭している。密かに「ガテン系」などもあるらしい。

「親分・ボス」や「部長・委員長」等の役職もここに分類しても構わないだろう。

【パーツ萌】

ここが1番細分化されるだろう。アイテム系の「眼鏡」や「白衣」。身体系の「長髪」や「片目・片腕」。

【シュチュエーション萌】

「年の差」「身分差」や「現代・過去・未来」などさまざまだ。

ここで問題になるのは、猫耳を含む「獣耳」だ。「つく」のと「生える」のでは大違いだ。

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『3月2日イベント・いちかばちか2』

記念すべきサンジくん(略してサン誕)にゾロサンオンリーイベントが行われた。年齢層を考慮してか、12時からの開始だった。

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世間が高橋尚子選手のオリンピック選考に騒然としている中、一部I-GIRLはREBORNライブのチケット選考にドキドキ。当落はどうなったか?次号結果報告?!

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2008年3月 4日 (火)

靴下

○ 自宅・二階の寝室

   ドアが閉まる。

   テーブルには全て書き込まれた離婚届。


○ 同・リビング

   テレビを見ている娘(12)。

   ボストンバッグを手にした父親、ドアの

   ところまできて話す。

父親「じゃあ、父さん行くよ」

娘「(振り向きもせず)うん」

父親(……怒ってるんだな)

   父親、出て行く。

   少しして母親が入ってくる。

   取り込んだまま隅に置かれていた洗濯物

   を畳もうと手を伸ばして、

母親「あれ? ねぇ、洗濯物いじった?」

娘「ううん」

母親「変ね。(娘の靴下を持って)ほらこれ、

 片っぽしかないの。取り込んだときにはあっ

 たと思うんだけど」

   娘の視線はテレビに向けられたまま。


○ マンション(夜)

   引越し荷物でいっぱいの部屋。

   父親、ボストンバッグの中に娘の靴下を

   見つけ、

父親「?」


○ 自宅・娘の部屋(夜)

   娘、片っぽだけの靴下を眺めてクスッと

   笑う。

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2008年3月 3日 (月)

ねじの回転 ( アイドル愚考録 )

綾瀬はるかの魅力は、子犬の持つ可愛らしさとよく似ている。

無防備で純朴。疑いなく、世界を信じきっているような澄んだ瞳。

少し地味だが、アイドルとしての雛形に近い存在であり、安定感がある。

それだけに、電車の中吊り広告で見た、綾瀬はるかの生茶のポスターは衝撃だった。

生茶を飲んだ直後という設定らしく、手で豪快に口元を拭った彼女は、「ぷはー」という満足げな声が聞こえてきそうな程、無防備に口を開けている。

その光景が今までの綾瀬はるかとは違い、やけに猥らなのだ。

猥らと言っても、エログロの方面( サドや乱歩など )ではなく、もっと現実的で、それゆえに生々しく、昼間の太陽に照らされたような明るい性である。

譬えるなら、フランスかイタリアの広大なブドウ畑で働く、若き村娘たちであろうか。

眉をひそめる大人などお構いなく、彼女らは甲高い嬌声を上げながら葡萄を収穫している。その時の話題は、自身の、もしくは友人たちの性に関するゴシップである。

頭の固い大人たちの目を盗み、ひそやかに行われた性の冒険譚が、笑い、好奇心、時には深刻さでもって語られるに違いない。

そして、桶の中の葡萄を、彼女らの若い足が踏むとき、その性的興奮はクライマックスを迎える。

足裏をくすぐる皮の感触。立ちのぼる葡萄の匂い。

くらくらと意識は落ち着かず、かるく酩酊した状態の彼女らの上げるあげる笑い声や悲鳴は、男女間の睦みごとに酷似しているに違いない。

このような、性の喜びを隠すことのない村娘の中に、綾瀬はるかの姿を想像して描き加えることは、決して難しくない仕事のはずだ。生茶のポスターを見た者であれば。

それにしても、これまで私が綾瀬はるかに抱いていた印象は、最初に挙げたようなものであり、それは彼女の評を安定させると同時に、先が見え、まったく退屈であり、コラムの対象とするに相応しくないと断ずる理由になっていたのだが、件のポスターのおかげであるものが発見できた。

それは『 捩れ 』だ。

彼女は、人の肉で作られた、一本の螺子である。

顔とそこから下の肉体が、右と左に異なった回転をしているのである。

無防備や純朴。これら冒頭で述べた彼女の印象は、注意深く観察すれば、すべて彼女の顔が与えているものだと分かる。その容貌は愛らしく、邪気なく、清潔である。

しかし、その肉体は一転して肉感的であり、官能的ですらある。

( 彼女の肉体性に疑惑を抱く者は、数年前のポカリスエットのCMを思い出すこと。そこでは彼女の肉体性を前面に押し出した演出がなされていた )

『 清潔 』と『 官能 』。

このアンヴィヴァレントなふたつが結びつくと、明るい、透明な肉慾という効果がうまれる。

それは倫理や社会通念に囚われない、フィクションではない、生の肉体から発せられる性の喜びであるのだ。

『 透明な肉慾 』というのは貴重な財産だと私は考える。

多くの視聴者( 性に未熟な子供や、倫理観の強い高齢者 )が目にする、テレビや映画などにおいて、露骨な性を感じさせることなく、それでも官能をアピールできる役者は稀有な存在だと思われるからだ。

私は、綾瀬はるかはコメディに向いていると思う。

底抜けにお人よしで涙もろく、男に騙されてばかりいるが、それでもまた恋愛に走ってしまう可愛い女。ビリーワイルダー風の、ロマンティックコメディーなら彼女の良さが引き立つと私は考える。

うまく行けば、綾瀬はるかはマリリン・モンローのような女優になれるのではないか。

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2008年3月 2日 (日)

I-GIRL用語集

そもそも【I-GIRL】とは?

秋葉原系男子、『A-BOY』の女子版。

池袋乙女ロードを拠点とし活動するヲタク女子。

《あ行》

【アニパロ】(あにぱろ)

アニメ作品が元になっているパロディ作品

【R指定】(あーるしてい)

映画用語。15歳未満の購入や閲覧が禁止されているものをR15、18未満禁止がR18。

【イベント】(いべんと)

いわゆる同人誌即売会。

【受】(うけ)

受けるほう。男女で言う女役。×の後ろ側のキャラクター。大抵のイベント配置は受キャラでくくられている。

【オンリーイベント】(おんりーいべんと)

特定のジャンルやカップリングに絞られた同人誌即売会。

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《か行》

【掛け算の本】(かけざんのほん)

いわゆる同人誌。

【カベ】(かべ)

イベント会場で、壁に沿うように配置されたスペースの事。主に搬入物の多いサークルや行列が出来るサークルが配置される。

【カップリング】(かっぷりんぐ)

恋愛関係の組合わせ。攻×受で表記される。他に総攻(誰に対しても攻め)、総受(誰に対しても受け)、リバ(受攻両方可)などがある。

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《さ行》

【サークル】(さーくる)

同人活動をしている仲間。一人の時は「個人サークル」と言う。

【ジャンル】(じゃんる)

そのサークルが何を扱っているかという分類。

【スワロウテイル】(すわろうている)

乙女ロードにある執事喫茶。

【攻】(せめ)

攻めるほう。男女で言う男役。×の前側のキャラクター。

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《た行》

【ダブルパロディ】(だぶるぱろでぃ)

ひとつの作品のキャラクターや設定を、別のもうひとつの作品で使ったパロディの事。元ネタが二つ以上の作品。

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《な行》

【任意の人だかり】(にんいのひとだかり)

イベントスタッフが作った訳では無い列の事。オンリーイベントでスタッフより早く来た一般参加者が自主的に並ぶ時に出来る。あくまでイベント主催サイドの非公認の列。

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《は行》

【パラレル】(ぱられる)

元ネタになっている作品のキャラクターや設定を借りて、ストーリーとはまったく別のオリジナル設定にした作品。

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《ま行》

【MR】(まんれぽ)

まんがレポートの略称。コミックマーケットのカタログに載っているためになるコーナー。

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《や行》

【やおい】

「やまなし、おちなし、いみなし」の頭文字。昔、とある女性向け作家がストーリー無視のHシーンばかりの展開に、自虐的に使用した事から広まった(と聞く。私が1番最初に聞いたのはこの説だ)。今では女性向けホモ同人の総称として使われる。

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《ら行》

【リバーシブル】(りばーしぶる)

「受」と「攻」が入れ代わる事。略して「リバ」ともいう。

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《わ行》

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【引用文献】COMIC BOX ジュニア・マンレポ・脳内

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月刊I-GIRL『準備号』

I-GIRLとは。

池袋乙女ロードを拠点とする女子の名称。

ガールって年じゃねぇダロという年齢の方もいるが、「心はいつでも少女」なのである。

決してやおい系ばかりの乙女達ばかりではなく、スワロウテイルに通いつめたりしている方も純粋にキャラクター萌えしている方もいるので、あしからず。

編集部員

社長・自称「腐女子の心が分かる一般人」。いわく、「同人誌が好きなんじゃなくて鈴木ツタが好きなだけ」。だが、その様は昔のホ○小説にありがちな「男が好きなんじゃなくて好きになった相手が男だっただけ」な台詞と同じである。

秘書・声優語りで何度か出てきた事のある平田ファン。最近は軍モノにハマり気味。ヒロリーナ・簡単に説明するなら「女版斑目先輩」。自カプの大半が髭キャラな買い手としては部内最強。

山本・とあるネットのREBORNキャラ占いで山本となって以来(ピーチにのみ)こう呼ばれる。

ピーチ・気付いたらこう呼ばれるようになっていた。最近はサンゾロに傾き気味。

ボス・周りに同編集者がいないとミスを連発する、限定ドジっ子。

ゆんゆん・私です。

こんな面子で各イベント等に参戦している。

今月誕生日のキャラ

3月2日 サンジ

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