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2008年3月25日 (火)

マリー・アントワネットの時計 ――または、ある時計蒐集家の手紙(第二稿)

 この手紙は、長い間空き家となっていたとある旧家の、書斎の隠し戸棚に古い懐中時計とともに納められていたものである。
 以下にその全文を掲載する。

『 私は時計の蒐集を生き甲斐としておりました。このたび、長年かかって集めたコレクションを、自らの不徳のいたすところによって手放さねばならなくなったのですが、その中にあって、どうしてもこれだけは人の心のわかる方の手に渡って欲しいと、願ってやまない品があり、それをこの隠し戸棚に手紙を添えて納めた次第です。

 私が何故この時計に特別な思いを抱くようになったのか、それをおわかりいただくことは非常に困難であると思われますが、何かしら通ずるものがあることを願いつつ、この時計の製作者と依頼者について、私の知っていることを書き記そうと思います。

 この時計は不世出の天才時計師アブラアン・ルイ・ブレゲが、フランス王妃マリー・アントワネットの依頼を受け、製作した「BREGUET(ブレゲ)№179」です。

 ブレゲは1747年1月10日にスイスのヌーシャテル地方で生を受けました。
 この地方の住民が皆プロテスタントであったことと、ブレゲ家が何世代にもわたって牧師を輩出してきたことから、赤子にはごく自然に、旧約聖書からとった〝アブラアン〟という名がつけられました。

 ブレゲが時計制作の道を志すようになったのは、彼が11歳のときに父が急死し、しばらくして母が再婚した相手が時計師だったからです。

 15歳で学校を退学し、時計職人になる修行を始めたブレゲは、まもなく義父の知人で、フランスはヴェルサイユに工房を構える、とある時計師の下に奉公に出ます。ブレゲはそのときのことを後に手紙でこう綴っています。
「自分を鍛え上げたいという止みがたい欲求のために、私は故郷のスイスを去ってフランスに移り、ここに腰を落ちつけたのです。この国が職人の才能を開花させることのできる唯一の国と信じて疑わないからです。」

 スイスの片田舎からやってきた15歳の少年にとって大都会パリの壮大な姿はさぞ魅惑に満ちたものに映ったでしょう。

 当時のヴェルサイユは、「最愛王」と呼ばれたルイ15世が宮殿に君臨し、ヨーロッパ全土からやって来た多くの芸術家や職人たちが、その技術や華やかさを競い合う場でもありました。
 宮廷の王族・貴族たちの間では、結婚式など大きな式典の際に来賓に贈り物を振舞うのを慣わしとしていました。そこで時計は嗅ぎ煙草入れと並ぶ、「ロイヤル・ギフト」としての地位を確立しており、彼らにとって富や権力を象徴するものとしてなくてはならぬものでした。

 13年に及ぶ修行を終えたブレゲは、1775年、独立し、自らの工房を構えます。

 一方、マリー・アントワネットは、1755年11月2日、オーストリア・ハプスブルグ家の十一女としてウィーンで生を受けました。

 15歳でフランス王太子と結婚したアントワネットは、王太子から御礼の祝い品として52個の鍵煙草入れと51個の時計を贈られ、これらの品、全てを式の来賓者たちに配ったといいます。

 アントワネットとブレゲがすぐに出会ったかというとそうではありません。ブレゲの名声は既に高まっていましたが、当時のパリの空気は、ヴェルサイユの宮廷、なかんずくマリー・アントワネットを激しく嫌悪するもので、ブレゲとてなかなか国王や王妃に謁見する機会を得ることはできずにいました。

 アントワネットとブレゲがどのようにして出会ったのかについては、詳しい資料が存在しないため定かではありませんが、おそらく二人を引き合わせたのは、パリに来てからのブレゲの庇護者であったマリー神父ではないかと考えられています。

 1782年にブレゲはマリー・アントワネットのために懐中時計を製作したのですが、これには「10/82」という刻印が記されています。この数字は1782年の10月に仕上げられたことを示しています。この年はマリー神父が、王弟であるアルトワ伯爵の助任家庭教師に任命された年でもあるため、おそらくこれをきっかけとして初めてブレゲは国王と王妃に謁見することができたのだろうと思われます。

 王室御用達の宮廷時計師となったことでブレゲの名声はさらに高まり、その顧客リストには国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットの他、ラ・ロシュフコー、ノワイユ、モンテスキューといったフランスの名士たちも名を連ねていたといいます。

 翌年、ブレゲは王妃の警護官という匿名の使者から驚くべき注文を受けます。それはあらゆる複雑機構と最新のデザインの粋を集めた最高の時計を作って欲しいという申し出でした。納期も価格の制限も全くなしという規格外の注文に、ブレゲは大喜びして製作に着手します。こうして作られたのが「マリー・アントワネット」と称される伝説の時計「№160」です。結局、この時計は長い中断をへてブレゲの息子の指揮のもとでようやく完成したため王妃の手に渡ることはありませんでした。時にブレゲ36歳、アントワネット28歳。片や時計師として、片や王妃として、彼らはきっとこの伝説の時計に象徴されるように、その人生のうちで最も輝きに満ちた時を過ごしていたのではないでしょうか。

 それからまもなくして、パリの情勢は次第に抜き差しのならないものへと変化していきます。1789年7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃を契機とするフランス革命です。革命の火は、王政や封建制度といった当時の社会体制に不満を持つ人々の手によって各地に飛び火し、その進展とともにブレゲの上顧客であった宮廷の王族たちは、立場的にも金銭的にも追い詰められていきました。

 その影響でブレゲは時計の代金の回収が困難になり、ついに会社の財政は逼迫します。時計師としてこれまでどおり新作に力を注ぐか、財政の健全化のため量産にいそしむか。絶えず革新的な時計製作に力を注ぎたいブレゲは、彼が時計製作に力を集中できるよう主に会社経営を担ってくれていた共同経営者のジイドと対立、ほどなくして二人は袂を分かちます。

 こうしてブレゲは自由を手に入れました。が、会社の財政は依然として火の車であり、自由を手に入れた直後から、ブレゲは皮肉にも本来新作に注ぐべき情熱の全てを経営に傾けることになります。

 まずやるべきことは、もはや誰も敬意を示すことのなくなったフランス王室に代わる、新たな顧客の開拓でした。ブレゲはそれを外国の王室に求めました。かねてより取引のあったイギリス王室をはじめ、プロイセンの王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世(彼はブレゲの故郷であるヌーシャテル公国の統治者でもありました)、そしてマドリッドに住んでいた知人の協力によりスペイン市場をも主要な供給先の一つとすることに成功しました。余談ですが、ブレゲは幾度となくブリテン島に時計代金の回収のために渡っており、そのたびにイギリス王室の金払いの悪さを嘆いています。

 ブレゲが新たな顧客との関係を地道に築きつつあったとき、思いもよらぬ人物が注文をよこします。それは1792年8月13日以来、革命軍によってタンプル塔に幽閉されていたマリー・アントワネットでした。捕らわれの身である彼女は、王宮略奪の際に失った愛用の高価な時計の代わりに、できるだけ安価な時計を作って欲しいとブレゲに依頼しました。ブレゲはその依頼に応え、「№179」を製作します。それはいたってシンプルな外観に、暗い塔の中でも時間がわかるよう音で時刻を知らせるリピーター機能を備えた懐中時計でした。時計は、彼女が死の直前にこれを、後にシャルル十世となるアルトワ伯爵に譲るまで、その手の中で時を刻んでいたといいます。

 ブレゲは何故アントワネットの依頼に応えたのでしょうか。いまさらフランス王室に貸しを作ったところで何の得にもなりません。加えてブレゲはある時期、国民衛兵・第一部隊の隊員としてタンプル塔を警備する任務に就いており、もし王妃のために時計を作ったことが悪意をもって吹聴されでもしたら、自らの立場に悪影響を及ぼす可能性すらあったかもしれません。にもかかわらず彼は時計を作りました。残念ながらその真意を知る術はありません。

 ブレゲの独創性への飽くなき追求を物語るエピソードの一つとして、彼が死ぬまでに一つとして同じ時計を作らなかったことがあげられます。しかし、これが真実でないことを私は知っています。彼は生涯でたった一度だけ、同じ時計を作りました。売るためにではなく、自らが所有するために。それがこの時計――二つ目の「№179」です。

 同じナンバーをつけられた二つの時計は、彼女がそれを手放すまで、両者の手の中で同じ時を刻み続けました。

 私は他のどんな時計よりもこの時計を愛します。

 この時計の新たな持ち主が、もしも私と同じ気持ちであってくれたなら、これ以上の幸せはありません。』

―― fin.

<参考資料> エマニュエル・ブレゲ 著 / 菅原 茂 訳 『 ブレゲ 天才時計師の生涯と遺産 』

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