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2008年3月10日 (月)

既知との遭遇 ( アイドル愚考録 )

人は未知なるものを恐れる。

それは本能的な恐れであり、人類ははるか昔より正体の知れないモノに恐怖し続けてきた。人類の歴史とは、未知なるものを駆逐しようとする行為の堆積であると言えなくもない。

あらゆるものを分析し、測定し、名前を与え、既知のものと変える。人が蛮勇とも思える大冒険、大航海に挑むのも、実は勇気だけではなく、『 訳のわからないもの 』に囲まれているという事実に耐えられないからではないか。根底には恐怖が隠れているのではないか。

ことほどさように人は未知を恐れる。しかし、では既知なるものが、怖ろしくないかと言えばそうではない。時として既知なるものは、未知なるものよりも恐怖を与えること大である。

既知とは既に自分が見知ったものである。

つまり人生における二度以上の出会いであり、それは以前に出会ったときの体験、突き詰めれば過去の自分の再発見でもある。

思わぬ場所、思わぬ時間に過去の自分と遭遇することは、存外、怖ろしいものである。

ところで、『 月刊ダイバー 』なる雑誌があることをご存知だろうか。大半の読者は知らないであろう。斯く言う私も、本日、その存在を知ったばかりである。

文字通り、それはダイバーのための情報誌であり、ダイビング教室の生徒募集から、初心者用の簡単なスポットや熟練者のための穴場だが難しい海域、潜水用機材の詳細な紹介まで、あらゆるニーズに応えられる作りとなっている。

が、私はまるで海とは無関係に暮らしてきた陸の男である。

そんな私が、この雑誌に目を惹かれたのは、むろんその表紙モデルが原因である。

が、それを目にした瞬間、血液は沸騰し、体中が熱く燃え上がった。

その表紙モデルが、持田真樹だったからである。

私が持田真樹を知ったのは、おそらくTBSドラマ『 高校教師 』であった。

彼女はヒロインである桜井幸子の親友役だった。そのドラマで、彼女は桜井幸子の引き立てであり、また桜井幸子の純愛に対する引き立てでもあった。

( 持田真樹は好意を抱いていた教師に想いを打ち明けるが、彼女はそこで彼に強姦されてしまう。桜井幸子の場合、彼女が肉体関係に至るのは最後になっている )

ショッキングな内容と、桜井幸子の清純さと艶かしさの混在した演技が話題を呼んだドラマだったが、私は殆んど持田真樹を見るためだけにドラマを見ていた。

彼女は決して演技は上手くなかったが、とにかく可愛らしく、純朴で、そんな彼女がどうなるのか、毎回、はらはらしながらテレビを見ていた。

本気で彼女の相手役だった京本正樹が大嫌いになった。

( 後年、彼の特撮モノへの深い理解と偏った愛情を知り、逆に好きになった )

恥ずかしながら初めて購入した写真集が彼女のものであった。

以前、宇宙人に漫画とは何だ、と尋ねられた場合、手塚治虫を出せばすべて解決する、と言っていた漫画家がいた。手塚治虫はすべてのジャンルの漫画を描き、彼こそが漫画と言えるからである。

同じように、当時の私にとって、「 女性とは何だ 」という問いを投げかけられれば、私はすぐに「 持田真樹である 」と答えたであろう。その頃の私にとって、彼女は全てであり、唯一無二のまさに偶像( アイドル )であった。

その後、長い時間が経ち、やがてはその熱も冷め、いつしか彼女の名前は記憶から零れ落ちていたのだが、今日、彼女との思わぬ再会を果たした。

それは過去の自分、等身大の青春時代との再会でもある。

大体において、人間は過ぎた日々を美化する生き物である。幸にしろ不幸にしろ、瑣末な体験を大仰に膨らまし、劇的にすることで、自分の過去がさも起伏に富んだストーリーであったように、無意識に( 半ば意識的に )ミスリードしているのである。

そんな捏造だらけの過去の記憶のなかで、もっとも粉飾される可能性が高いのが、思春期、青春時代であると思われる。

一体、世間に流布する、『 青春は人生における、最も輝かしい時期である 』という言葉に躍らされ、自らの10代後半の記憶を粉飾しない人間が存在するだろうか。皆、数少ない材料( 体験 )でゴテゴテと飾り立て、金メッキで外側だけを立派にしているのだ。

そして、その偽造が露見する火種になりかねないのが、当時、熱狂したアイドルの存在である。

ある時期、彼らは神であり、女神である。が、当然、彼らも人の子であり、時間という制約から逃れることは出来ない。やがてピークを過ぎ、容色は刻一刻と衰えていく。

そこには色あせた過去の生の顔がある。現実の残酷な姿がある。

アイドルとはその時代の輝きを映す鏡でもある。同時代を生きる人間の、生の充実の絶頂が彼らである。

それが無残にも横たわり、老いさらばえた姿を晒しているのだ。

丁寧に葬った自分の輝かしい黄金時代が、腐った死体のままで甦るのである。何と言う冒涜であろう。

しかし、本当に耐え難い屈辱は、その青春の死体がほぼ生前の形を留めていることだ。

飾っていた偽りの記憶が腐り落ち、幾重にも塗り篭められていた真実が顔を覗かせていることだ。

エドガー・アラン・ポーの名作『 黒猫 』は、過去の記憶と対面することの恐怖を描いたものだ、とする心理学者もいる。壁の中から現れるのは死体ではなく、過去の記憶であるというのだ。

また、自らの出生の秘密( 過去 )を知ったオイディプス王は、その恐怖から逃れようと自らの目を潰した。

彼のように悲劇の英雄ではない我々は、さすがにそこまでの自虐行為には至らないが、それでも自らの欺瞞の証拠を見せられ、心穏やかでいられる者はいまい。

既知との遭遇はこれほどまでに破滅の危険性を帯びているのである。

今回、私は幸いにも身を滅ぼすほどの衝撃を受けることはなかった。

月刊ダイバーの表紙で微笑む彼女は、あの頃の記憶と断絶することなく、未だ容色を保ったままでいたからである。

が、彼女のように童顔の女性がうまく年齢を重ねていくのは難しいものである。これからも何とか時間と折り合いをつけ、『 可愛らしい 』から『 美しい 』女性になっていくことを願うしかない。

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