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2008年3月24日 (月)

星に願いを ( アイドル愚考録 )

かつて山本梓は宇宙人であった。

それは小倉優子のように世に出る戦略としてではなく、本物の宇宙人が何かの企みのため、地球人に偽装しているのではないか、という疑いすら持たせるほどであった。

( そういう意味では、忍風戦隊ハリケンジャーでの宇宙忍者役は実に適役だったと言える )

というのも、その振る舞いが世間のそれと大きくずれているように思えたからである。

言動、所作、そして完璧に近いルックス、とにかく彼女には現実感が希薄だった。我々と同じ日常に存在することに信憑性が置けなかった。

その疑念のもっとも大きな要因が、彼女に特有の笑顔であった。

人間は心から笑うとき、目元の筋肉が収縮するため、やや瞳が小さくなるものだが、彼女の場合は目は大きく開いたまま、口元だけが大きな笑いの形を作っていたのである。

口を大きく開けるのではなく、口は上前歯が見える程度に開き、口の端だけをニッと上に持ち上げる。三日月のようでもあり、アリスに登場する、チェシャ猫のようでもある。

この笑顔であって笑顔でない彼女の笑みが、彼女が実は宇宙人で、実感を伴わないまま人間の感情の形をトレースしているだけなのではないか、との疑惑を私に抱かせた。

そんな私の戸惑いをよそに、山本梓の姿はあちらこちらで見られるようになり、写真集も飛ぶように売れ、あっという間にグラビア界の、否、テレビの世界でもひっぱりだこの人気者へと変化した。

そんな彼女の強みとなっていたのが、もはや時代の要請と言ってもよい、コスプレへの抵抗のなさであった。ここで私が言っているのは彼女がコスプレを嫌がらない、という心因的な要素ではなく、コスプレとの親和性の良さを問題にしているのである。

しかし、これは当然の帰結とも言える。コスプレとは、専門職が必要性から纏うような衣服を、それとは無関係な人間が着ることで、その雰囲気、または社会に相対的な感情を抽出する見立て遊びであるからだ。

見立て、つまり形( フォルム )を模倣するのである。そして模倣であるためには、前提条件として模倣する対象と距離を隔てていることが必要となる。これは看護婦が看護婦の制服を着るのが当然であることを考えればすぐに理解されるだろう。

ここまで書けば誰でも理解できていると思うが、念のために書いておけば、山本梓がコスプレとの相性が良いのは、それしか彼女には有り得ないからということになる。

つまり、宇宙人である彼女にとって、地球上のあらゆる衣服は、その全てが人類のために縫製されているという時点で、コスプレの対象にしかならないのである。

彼女のコスプレに向く性向とは、通常の衣服との致命的なマッチングの悪さが育んだ、奇妙な果実に過ぎないのである。

( このコスプレという概念を突き詰めていけば、もっと深い考察が生まれそうな気もするのだが、ここではこれ以上、進めることを自重しておこう。ヤマトタケルの女装など、神話との関係性を論じていくだけでも面白そうな論題ではあるが )

ところで、今回の文章がほぼ過去に向けられていることに既にお気づきのことと思うが、お察しのとおり、上述の文章は現在の山本梓をその射程に収めてはいない。

現在の山本梓は宇宙人ではないからだ。

『 あまりにも地球的である 』と言ってもよいかもしれない。

かつてはその背後に輝いていた、大銀河の煌きが薄れてしまっている。

最近の山本梓のグラビアには、あまり関心を惹くものがない。

現実的な話をすると、私生活で何か問題があったのか、近頃見たグラビアからは総じて元気が感じられない。熱意が感じられない。そして何より、我々に仰ぎ見ることしか許さないような、アイドル全てがもつオーラが感じられない。

アイドルとは偶像であり、我々とは遠く隔てられた存在である。これが私のアイドルの定義だ。

かつての山本梓はこの距離が銀河級だった。

しかし今、この二点間の距離が急速に縮みつつある。

もはや電車内でつり革を握る彼女を見かけても、地元の小さなスーパーで特売品を選んでいる彼女を見つけても、それが無理なく自然に思えるような存在になりつつある。

これはアイドルにとって死を意味することだ。

変化は避けられない。死は退けることの出来ない現象である。

しかし、彼女の現段階での死はナチュラルではない。死亡フラグは立っていない。

我々は、実を結ばぬうちに刈り取られる麦穂を見たくはないのだ。

今後、彼女から宇宙の広大さを感じ取ることは出来ないかもしれない。しかし、それでも、例え地球に降り立ったとしても、一人の人間として何かが出来るはずである。

地球に残ることを選ぶ。そんなかぐや姫がいてもいいではないか。

私は熱望する。彼女があの頃とは違う、新たな輝きで私の前に現れることを。

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