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2008年7月21日 (月)

田中れいなと高橋愛。あるいは電脳世界のアリスたち (アイドル愚考録 )

皆さんはMacファンという月刊誌をご存知だろうか?

「iphone」を生み出したアップル社の主力商品、パーソナルコンピュータMac。そのMacを中心に、あらゆるMacユーザーのための情報を取り扱っているのがこのMacファンである。

が、私にとって雑誌の内容はどうでもよい。私はパソコンにほぼ関心がない。メール機能すらほとんど使わぬ私にとって、iphonなど無用の長物でしかない。

そんな私がMacファン8月号を手に取った訳はただひとつ、表紙のグラビアにある。

「モーニング娘。」の田中れいなと高橋愛の表紙が抜群に良かったのだ。

以前、専門誌(アウトドアやオートバイなど)のグラビアは、その雑誌の扱う内容によってさまざまな制約を受け、そのためにグラビア誌や大衆誌のそれとは違う出来栄えになる、と論じたことがあったが(アイドル愚考録の4:参照)今回はその制約と彼女らの特性がうまく噛み合い、すばらしいケミストリーを生み出している。

パソコン誌のグラビアに要求されるのは、コンピュータ技術と人間の幸福な共生関係を描くことである。小型化された電子機器を持ち、にっこり微笑む知的美女。このような表紙を見たことのある人は多いだろう。もはやテンプレートと化した、典型的パソコン誌の構図である。

しかし、今回のMacファンの表紙は違った。

そこにあるのはコンピュータという機械(ハード)そのものではなく、コンピュータの持つ未来的なイメージだ。

田中れいなと高橋愛がいるのは、白い無機質な素材で作られた、とても大きな箱が規則的に並べられた不思議な世界である。清潔だが、生命の感じられない寂しい空間だ。我々がコンピュータに抱く、漠然とした不安が包み隠さず現れている。

昔のSF小説には、人工知能が人間の愚かさに愛想を尽かして叛旗を翻す、といった筋書きのものが多かった。最近ではあまり流行らなくなったようだが、コンピュータという表情の見えない存在に対し、我々はやはり潜在的に畏れのようなものを感じているのだろう。

しかし、コンピュータの販促、普及を目的とするパソコン誌の表紙がこれだけで終わる筈がない。そこはきちんと我々の不安を解消してくれる。人間とコンピュータとの幸福な未来を提示している。

それは田中れいなと高橋愛の表情である。

一見、白い無機質なこの空間に捕らえられたように見える彼女らだが、その表情にまるで不安の色がないのだ。微笑むでも悲しむでもないそのニュートラルな表情は、ここが自分たちのあたりまえの日常であると主張しているようだ。

広漠とした空間に違和感なく溶け込むふたりは、まるでコンピュータの妖精のようだ。不思議の国ならぬ、電脳世界のアリスたちである。

背景の同じ白だけでコーディネイトされた衣装が、彼女らとその空間の一体化を生み出しているのは間違いないが、彼女らの地力の高さも忘れてはならない。

今回のグラビアには、抑えた表情が欠かせない。生物であることが強く現れすぎると、画面との一体感を剥ぎとってしまう。が、消してしまえば我々の感情移入を阻害する。人間でも人形でもだめなのだ。その曖昧な領域で生きる存在が必要とされるである。

難しい注文だが、さすがは「モーニング娘。」のふたりである。年齢に見合わぬ、数々の場数を踏んでいるだけのことはある。見事にこの難題に答えてみせた。

機械(ハード)そのものを写すことなく、コンピュータ技術と人間の共生関係をつよく訴える、すばらしい一枚である。

ひとつ残念なのは、彼女らの手が離れていたことだ。これで彼女らがお互いの手をつないでいれば、もう一段物語性が強まり、そこはかとなくエロスの漂う、深みのある作品になっていたはずだ。よい写真であっただけに勿体なく思う。

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