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2009年10月

2009年10月27日 (火)

木片

○ 建築中の一戸建て

   柱や梁が組み上ったところ。数人の大工

   たちが作業に精を出している。

   切り落とされたピンポン球くらいの木片

   が地面に落ちる。

   それをサッと拾い上げる幼い手。

   走り去る少年(6)の後姿。


○ マンションの一室

   玄関ドアが開き、少年が跳ねるように駆

   け込んでくる。

   勢いそのままにリビングを通り抜け、子

   供部屋へと飛び込んでいく。

   エプロン姿の母親が台所から出てくきて、

母親「ドタバタうるさい」


○ 子供部屋

母親の声「もうすぐ引越しなんだから、少し

 は準備しておきなさい」


   部屋の中央で蹲っている少年。

   積み木で家を作るのに熱中していて何も

   耳に入らない様子。

   震える手で屋根となる三角形の積み木を

   最後に積む。

   真ん中あたりに先ほどの木片。

   それを見てにっこりと微笑む。

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2009年10月20日 (火)

覚えたての言葉

○ 公園

   住宅街の中にあるこじんまりとした公園。

   子供たちが活発に遊びまわっている。

   片隅で泥団子を作っている幼稚園年少組

   の弟。

   弟が横に置いた泥団子を踏み潰してしま

   う幼稚園年長組の姉。

   泣き出す弟。

   ベンチで近所の主婦仲間と談笑していた

   母親が気づき近づいてくる。

母親「コラッ。お姉ちゃんでしょ。どうして

 そういうことするの」

姉「んとね……ストレス溜まってるの!」


   言ってケタケタ笑い出す。意味がわかっ

   ているのか、いないのかわからない。

   泣いていた弟も姉に釣られるようにして

   笑い出す。涙の跡が残る顔で。

   怒っていいやら悪いやらわからず困惑し、

   口ごもる母親。

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2009年10月13日 (火)

駅の音

○ 廃線の駅

   広がる田園風景。

   息を切らして走ってくる千紗(17)。

   古びた小さな木造駅舎。

   ロープで塞がれている改札。

   肩で息をしながら周囲を見回す。

   人気はない。

   踵を返そうとして気づく。

   ロープに下げられた「立ち入り禁止」の

   板が風もないのに揺れている。

   ホームに駅長の帽子を見つける。

   駆け寄って帽子を拾い上げる。

千紗「(気づいて)おじいちゃん!」

   ホーム下、レールに耳を当てている寝巻

   き姿の祖父。

祖父「聞こえんなぁ」

   千紗、悲しい目をした後、努めて明るく、

千紗「耳が遠くなったんだよ」

祖父「それだ!」


   笑い出す祖父に釣られて千紗も笑う。

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2009年10月 6日 (火)

海を泳ぐカエル

 沖を目がけたのは忌々しかったからだ。

 僕の町では、毎年夏休みに入る直前の日曜、浜から往復で一キロほど離れたところにある小さな島をゴールとする遠泳大会が行われる。

 浜といっても、海外のリゾートにあるような眩しい白砂と澄んだ波、などという贅沢なものではなく、くすんだ鼠色の砂に、わかめが溶け出したようなビリジアンの波が打ち寄せる、垢抜けない漁師町のそれである。

 参加するのは地元の小学生全員。とはいえ全校合わせても百人ほど。

 低学年の子が一キロも泳ぐと聞いて驚く人もいるようだが、この町の住民には、きちんと泳ぎを習った者はいないにもかかわらず、一人として泳げない者がいないのである。

 スタートのピストルが煙を吐くと、浜辺の生徒たちが一斉に海へと駆け出す。

 応援する父兄や地元の人たちの歓声。海へ飛び込んだ生徒たちは、ある者は一等賞になるため、またある者は隣の友人に負けまいと懸命になって手足を動かす。

 そのときだ、一部の観衆から笑いが漏れ始めるのは。彼らの視線の先にいるのは僕。

 平泳ぎの僕だ。

 この町の子供たちに泳げない者はいない。

 僕も泳げる。

 ただ、平泳ぎしかできないのだ。

 皆がクロールで我先にと水しぶきを上げているのに遅れて僕は最後尾で悠々と平泳ぎ。

 そのせいで僕のあだ名は「カエル」なのだ。

 いっそ泳げないなら誰も僕に参加を強いたりしないだろう。

 なまじっかカエル泳ぎができるせいで、夏は僕にとって一番憂鬱な季節になってしまった。

 だいたい僕はカエルが嫌いなのだ。

 一見グロテスクでありながら、どこかユーモラスだったり、小さくて目立たぬ慎ましやかな生き物かと思いきや、一方では車に轢かれても大の字で堂々としている豪快さがあるなど、印象のコントラストで意図的に魅力をアピールしているようなところが癇に障る。

 陸でも水でも生きていけるという態度も気に入らない。

 そんなこともあり初めからくさくさしていた僕の気持ちは、クロール集団との距離がだいぶ開いた、浜から二三百メートル離れた辺りでいよいよ限界に達し、遂にその進路を沖へと変えさせたのである。

 誰もいない海へ向かって泳ぐ気持ち良さは格別だった。島で折り返して戻ってくるというルールを破ってやった痛快さもそれに拍車を掛けた。

 もしも海と空に境界がなかったなら、果てしなく泳いでいけるのではないかとさえ思えた。

 しかし、しばらくすると今まで高揚感で忘れていた海水の冷たさが急に感じられるようになった。加えて、それまでの自在さが嘘のように、見る見るうちにだるさが猛毒のように全身に回り始めた。

 体と心、どちらが先かはわからないが、そのころになると先までの痛快さはどこへやら、勝手なことをして両親に叱られるのではないか、もしかしたらこのまま浜にも小島にもたどり着けず溺れ死んでしまうのではないか、といった不安が次々に生まれ、胸の内で渦を巻きだしていた。

 戻ればいいことは頭ではわかっていたものの、振り返るのが怖くてできなかった。

 これ以上進みたくはなかったが、機械のように繰り返してきたこの動作は、もはや止められないくらい体に馴染んでしまっていたので、動作はそのままに、指の隙間を空けるなどして掻く水の量を減らすことで速度を落とした。

 カエルだったら陸でも水でも生きてゆけるのに。

 僕は嫌っていたあだ名よりも自分が小さく感じられ惨めな気持ちになったが、同時に、こんなときに思い出すほど大きな存在となったカエルが今まで以上に忌々しく、憎らしくて、目の前にいたら踏み潰してやりたいくらい、頭に血が上った。

 両親を含め、たくさんの人がいる浜にこのままのこのこと引き返していくのは御免だった。

 となれば、ルート通り小島まで泳ぎ着くほかない。

 僕は再び指の間をきっちりと閉め、小島に向けて大きく水を掻き始めた。

 これまでとは打って変わって小島だけを視界に入れて一心不乱に手足を動かした。

 だるさが消えることはなかったが、海水の冷たさはいつのまにやら消えていた。

 荒い息を続けると、次第に咽喉の奥が焼けるように熱くなってきた。

 真っ白な頭の中を、ただ知っているだけの言葉が無意味にぐるぐると駆け巡った。

 もう少し、もう少し。

 不意にカエルの足が砂を蹴った。

 僕は砂浜に上がるとそのまま轢かれたカエルのように大の字になった。

 目を開けているのも億劫で瞼を閉じた。

 島で大会の進行を監視していた教師の一人が、だいぶ遅れてやってきた僕を見つけ大丈夫か、と話しかけてきた。

 僕は彼にカエルは陸と水の両方で生きられてずるい、と言った。

 すると彼は、両生類は陸と水の両方で生きられるのではなく、陸と水の両方がないと生きられないのだ、カエルは弱い生き物なのだ、と答えた。

 僕はそれを聞いてなんだか嬉しくなってしまった。

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